Monkey Gone To Heaven

“おはよう”から“おやすみ”までいろいろ見つめて...笑います
--.--.-- --:--|カテゴリ:スポンサー広告| コメント(-)

スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2012.08.01 01:05|カテゴリ:世間一般コメント(0)

上向きの螺旋(らせん)と下向きの螺旋(らせん)の話(その1)


 つい先頃、滋賀県大津市の中学2年生の自殺が非常に多くの方々の耳目を集めました。さすがにひと頃に比べて頻度は落ちましたが、今も関連報道が続いていますね。残酷ないじめの手口、(筆者がニュースから判断するに)どう見てもお粗末な担任教師の対応、(たぶん、多くの視聴者の神経を逆なでしたであろう)学校や教育委員会のコメント等々、筆者も多くの方々同様に、関連のニュースを見るにつけても怒りとやるせない気分を味わっています。


 (このブログもそうなのですが)インターネット上にも、他の主要メディアにもいろいろな意見が溢れているようですが、筆者が非常にもどかしく感じるのは書き手個人の義憤らしきものを発散もしくは大爆発させているもの。加害者への憤り、加害者の親への憤り、担任教師への憤り、教育委員会をはじめとする関わりのある教育関係者たちへの憤り、被害届を受理しなかった警察への憤りなどなど、読んでみればいちいち同感なのですが、加害者、担任教師、学校、教育委員会、警察などを罵倒することで自分自身がスッキリしても何も意味は無いでしょう。むしろ、憤りを絶叫したり、誰かを罵倒することで一種“正しいことを声高に叫ぶ自分”に酔っているんじゃなかろうかと感じられます。そういう方々に対して筆者は個人的に、苦々しい気持ちとともに、軽蔑の視線を向けています。こちらにも書きましたが、理想を声高に語ることなど、誰にでもできる安っぽい行為だからです。


 このような中、筆者が注意を持って耳を傾けたり、じっくり読みたくなる意見は、論者の感情がどうなのかにはほとんど触れずに“どうすればこのような悲しい事態を減らすことができるか?”という解決策を冷徹な目で淡々と述べるような意見です。その解決策が一見、荒唐無稽であったとしても、誠実に考え抜いたであろう解決策であれば、筆者はその論者に深い敬意を感じます。少なくとも、“加害者を吊し上げろ!”“担任教師を吊し上げろ!”的な方向で盛り上がっている方々には全く共感できませんが、解決策を考えている方には強い共感の気持ちを持ちます。


 このようなおちゃらけたブログで、こういった話を取り扱うのは不適切であることは承知しているのですが、筆者もイイ歳した中年で、小学生の親でもあり、社会で最低限の義務くらいは果たしている市民の一人である...くらいの自負はありますから、真剣にいじめを減少させる方法について“過疎地”で勝手に考えてみようと思います。(だから、今回はみなさんもお気づきのように、普通の“ですます調”で書かせていただきます。)


        521895484_d38cc15c9a_o.jpg
                       By Aka Hige


 まず、効果がある解決策を考えるために、学校で生じるいわゆる“いじめ”という現象の“モデル”を想定します。実際のところ、現実を忠実に表現するモデルの作成が無理なのは分かっているのですが“モデル”を考えることで、(もし、そのモデルが有効であるならば...という条件で)“いじめ”を減らす効果が期待できそうな施策を考えてみることができるからです。


 正直、筆者は過去に“いじめ問題”に関心の的を絞り、これを分析するような類の書籍ばかりを集中して読んだという経験が無いので、そう多くのモデルを知っているわけではありません。しかしながら“いじめ問題”を「加害者の子どもとその両親の性根が腐っているから」とか「社会の荒廃が進み、最近の子どもは陰湿だから」的な話に矮小化したりせず、かといって「子どもの世界には、“一軍”から“二軍”“三軍”といったグループ別の階層が存在していて..」などといった解決策の考察に役に立たない “モデル”の提示でも無い、実効性がありそうなモデルを一切知らないというわけでもありません。今回は、有名な社会心理学者である山岸俊男氏が述べられていたモデルを拝借して“いじめ”の解決策を考えてみようと思います。


 まずは、山岸氏がモデルを使って説明する“いじめ”とはどのような現象なのか?を知る必要がありますね。“いじめ”が生じて、それがやっかいな問題へと発展していく過程で「そのクラスを、ある“空気”が支配する」ことがよく語られます。「加害者たちを諌(いさ)める勇気ある子どもが一人もいないクズ揃いのクラスだったに違いない!」などと、感情的な表現をする方がいらっしゃいますが短絡的です。ある“空気”に支配されたクラスでは、特に道徳的に劣った子どもではなくても、「見て見ぬふりをしているのが当然」といったことになるようです。


 一方、ちょっと“いじめ”が生じても、クラス全員がそれを許さないような“空気”が醸成される場合も当然あります。「小さな“いじめ”も見逃さない、勇気と優しさに溢れる子どもたちが揃った最高のクラスに違いない!」と褒められるのかもしれませんが、やはり短絡的です。実はこちらもクラスを構成する子どもたちの優しさや勇気が、前述のクラスに比べて優れているとは限らないのです。「バカを言うな。そんなハズ無いだろう!“いじめ”が野放しになってしまうクラスはダメな子どもが揃っていて、“いじめ”を許さないクラスは勇気と優しさを兼ね備えた子どもが揃っているに決まっているじゃないか!結果がすべてだ。一目瞭然だろう!」みなさんは、そう思いますか?筆者は、全くそう思いません。次回、山岸俊男氏のモデルを使って、なぜ“いじめ”の有無の原因をクラスを構成する子どもたちの性質(優しい、勇気があるetc.)に帰して考えてはダメなのかを説明します。


関連記事
スポンサーサイト
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL

SEARCH this BROG
全ての記事を見る?
AddThis
Share |
LABELS
ABOUT ME

karagenki

Author:karagenki
"LABELS"の筆者プロフィールをご覧下さい

EMAIL

名前:
メール:
件名:
本文:

COMMENTS + TRACKBACK
Comments<>+-
Trackback <> + -
ACCESS COUNTER
CREATIVE COMMONS
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Monkey Gone To Heaven by karagenki is licensed under a Creative Commons 表示 - 非営利 - 継承 2.1 日本 License.
karagenki773.blog112.fc2.comにある作品に基づいている。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。